「ぼくらの夢のかなえかた」:アニメーション監督、美術監督・木村真二(前編)
出会いは東京国際アニメフェアの受賞作「カクレンボ」

木村真二さん(アニメーション監督、美術監督)と森田修平さん(YAMATO WORKS※「FREEDOM PROJECT」監督)

現在は“大友克洋作品”というキーワードで深く結ばれていて、サンライズではいわば机を並べていらっしゃるお二人ですが、初めての出会いは、いつごろだったのでしょう。

森田
僕がOVAの「カクレンボ」を出品した東京国際アニメフェアです。僕はその時、個人で作品を出品していました。
そのときの席順がおもしろくて、僕みたいな新人と、ベテランの人たちが交互に並べられてて、僕の左が木村さんで、右が石川さん(石川光久: Production I.G社長)だったんです。
それで、真ん中で緊張してカチカチになってると、僕の頭越しにものすんごい話してるんです。
木村
そうそう。この人誰だろうなあ、とか思いながら二人で話してた(笑)
森田
そして、「カクレンボ」が公募作品、一般部門で東京アニメアワードの優秀作品賞をいただいて、受賞式で表彰されて戻ってきたら、「ああ、君か!」みたいに声をかけていただいたのを覚えています。
木村
個人製作でああいうものを作るっていうのがすごいなあ、と思って。
アニメーション会社のスタッフだと、セクションごとに別れていて、例えば僕は美術じゃないですか。
個人で丸々一本を作るという感覚は、まだ無いような頃だったから。
森田
その後、「STEAMBOY」がきっかけで出来たこのスタジオに、僕も「FREEDOM PROJECT」で入ってくることになって、木村さんや「STEAM──」の周辺のみなさんとご一緒することになるんですけど、あの頃はまさか、同じサンライズのスタジオで仕事をすることになるなんて思ってもいませんでした。
木村
僕はこのスタジオに所属していたわけではないけれど、当時も色々と出入りすることがあって。そこでたまたま森田くんに会って「なんでいるの?」って(笑)
でも、なかなか仕事の話にはならないんだよね。
森田
そうですね。
もちろん仕事でもご一緒したいんですけれど、尊敬している方となると、それはそれで難しいところもあったりします。
「アニメは分業。自分の専門しかわからない」

現在は、プロダクトとしても個人製作に近い形で作品作りが行われるようになってきましたが、木村さんがそのような形でお仕事をされるようになったのはいつ頃からですか?

木村
二年前くらいに、このスタジオで大友(克洋)さん原作の、短い「ヒピラくん」という作品を作ることになって、これは前々から話があったんだけど、実際作れるような状況になったから、じゃあ始めようかと。

その前に、STUDIO 4℃で「Genious Party」という短編集で一本やらせてもらっていて、そこで試作品じゃないけど、試してみたかった方法論をやってみて、これでいけるだろう、ってことで「ヒピラくん」のテレビシリーズをやらせてもらいました(2009年12月にNHK-BS2で放送)

チームで大勢で作る作品と、個人でコントロールできる部分が多い作品では、その取り組み方には差があるのでしょうか。

木村
いずれにしても、自分が出来るテリトリーというのは限られてますよね。
話を作りこんでいって、背景を描いて、あとはCGの人、3Dの人──って流れになるけど、例えば、立体的な3Dになると自分はわからない。
アニメっていうのは分業ですから、何十年やってても、自分の専門のことしかわからないんです。
僕はアニメーターじゃないから、タイミングとか、中割りとか言われてもわからないし。
そうなると、気に入らないからリテイクというのも難しい。

ただ、このスタジオでは、森田くんが「FREEDOM」で入ってきたときに、3Dでも軽い段階でラフを見せてもらうことができるような流れが出来上がってたんです。
最終コンポジットに近い形で見せてもらうことができて、無駄が無い。

今までは触れなかった部分だったけれど、これが一番いいだろう、このやり方でいいんじゃないかと思ってます。

「ヒピラくん」の原作は、じつは「STEAMBOY」が上手くいかなかった時期に、大友さんと「じゃあ他のことをやろうか」といって作った絵本です。
これ自体は一冊分やればいいよね、ってことで終わったんだけど、それから4~5年経って、大友さんは大友さんで自分の映画を作ろうとしていたタイミングに、じゃあその陰でこっそりやったらバレないかな、と(笑)
8話分くらいは絵本から作ってますけど、それ以降は勝手に作ってますね。

絵本は英語版が既に出版されていますが、アニメ版の海外展開の予定はあるのでしょうか。

木村
英語版の製作が始まってます。これから海外に売り込むんじゃないかな。

作り手の側で、この作品は海外でもウケそうだな、といった感じで売り込みを考えたりすることはあるんですか?

木村
それはプロデューサーの仕事でしょう。
作品が一本終わると、もう次の作品に取り組んでいかないと生活が成り立たないので、いつまでも一本の作品にかかりきり、っていうふうにはできない。
それに、一本やりおえたら、なんだか飽きちゃう。
続編をやりとなると、じゃあ予算はどうするんだとか、例えば大友さんを呼んで会議だとかってことになるのが、面倒になっちゃうんですよ。もういいかな、一回やればと(笑)
結局は自分が面白く無いとやらないんですね。
木村アニメのルーツはコマ撮りの「キングコング」

ところで、木村さんがこの世界で仕事をしたいと思うようになったのは、いつ頃ですか?

木村
学校の美術の成績も、悪かったわけじゃないけど、ってくらいだったけど、漠然と絵で生きていければな、とは思ってました。
でも、自分の記憶と周囲の目というのは違うみたいで、先日たまたま高校の同窓会があったんだけど「授業も聴かないで絵ばかり描いてたよね」とか言われるんですよ(笑)
だから、こういう道に進むんじゃないかとは、自分よりも周りの方が思ってたようですね。

あと、中学生くらいの頃、親父が新し物好きで、家に8ミリカメラがあったんです。
それで結構コマ撮りでアニメーションを作ったりしてました。
でも、絵じゃなくて造形の方のアニメーションです。家にあるゴリラのぬいぐるみがビルに上るみたいな──要はキングコングですよ。

当時は、デジタルじゃないから焼かないと仕上がりがわからない
それに、コマ撮りですから計算できなくて、その“上手くいかなさ加減”が面白い。
今もキレイに動くよりは、失敗したんじゃないの? みたいなヘンな動きの方が好きなんです。

さっきも話したけど、セルワークのことは、自分にはわからないわけです。
そこに、3Dが出てきたのは大きい
僕のように、美術の分野から作品作りに関わっていけるようになった。
3Dが発達していく中で、今なら自分の持っている美術というスキルが提供できる。

あと、手で描いたようなもので3Dをやりたい、というのもありますね。
技術の進歩で、十年後はもっとスゴいものができているだろう。でも、描いた絵を残しておいた方が、同じ古くなるにしても、古くなる感じが違うんじゃないか、と。

森田
僕の立ち位置は木村さんと違うんですが、手を3Dに入れていく、ということは意識してますね。

木村さんの作品を見ていると、3Dに手で描いたキャラが入って、温かみがあるのが、見ててうらやましいと思います。
美術から監督になる人は強い、と思う瞬間がありますね。

木村
動きでも、予想しなかったくらい荒い動きが面白いと思う。
でも、3Dだと全部キレイな動きになっちゃうし、後から修正も出来る。
はっちゃけてやってみたつもりでも、デジタル上では動きがキレイになってしまうから、キレイな演技ではない“ガチャガチャ感”を入れ込むのは難しいけれど、そういうことをやっていきたいんですよ。

次回、魂のインタビューリレー「ぼくらの夢のかなえかた」:アニメーション監督、美術監督・木村真二さん(後編)「美術から監督業に進出した木村真二の“インディーズ魂”」へと続きます~