「ぼくらの夢のかなえかた」:YAMATO WORKS・森田修平監督(前編)
最初は実験作ばかりで、試行錯誤の連続だった

YAMATO WORKS 森田修平さんと有限会社神風動画代表 水崎淳平さん

森田監督は、水崎さんの「神風動画」の立ち上げ時期からのご縁ということですが、お2人の最初の出会いについてお聞かせ下さい。

森田
僕がバイトの応募で水崎さんを訪れたのがきっかけですね。京都造形大に在学していたとき、CGを使って何か作れる仕事を探してたところ、水崎さんのスタジオでバイトの募集があったんです。最初にうかったのが神風動画の最初のメンバーである桟敷大祐さんと僕だった。僕、バイトの問合せの電話をしたとき「募集されたいんですけど」って言った記憶があるんですよね(笑)。すごくテンパってて「応募」という言葉が出て来なくて。しかも当日、時間を間違えて遅刻っていう、最悪のことをしてしまったんですよ。
水崎
のちに「カクレンボ」「FREEDOM」をつくることになる桟敷君と森田君、全然接点のない2人から応募があったんです。森田君は「募集されたい」とか言うタイプで、もう1人の桟敷君はド真面目なタイプ。2人とも「14時に来て」って言ってたのが、なぜか桟敷君だけ来て、先に面接してたら、1時間後に森田君が来てね(笑)。ふつうの会社だったら1時間遅刻ってダメじゃないですか。でも、僕は「ちょっと面白いな」って思ったのかもしれませんね。面接では「ナウシカ」のこととか「AKIRA」のこととか、ほとんど雑談してたんだけど、好きな作品がだいたい一致して。天然だけど採用だなと。

当時、アニメーションの話で一番盛り上がってたのはやっぱり「AKIRA」ですか? いまこのスタジオにいらっしゃる大友克洋さんの作品ですが。

水崎
その時は、大友さんとお会いできる立場になるとは思ってなかったですけど。僕は森田君と一緒に仕事をするうえで「なにか共通する価値観は欲しいな」と思っていたのと、単純に「AKIRA」以上のアニメーションを知らなかったんですよ。色彩設計も、美術も、演出も、狙いも含めて、文句無しの作品でしたよね。
森田
当時「AKIRA」は100回くらい見てました。みんなセリフを覚えてる状況でしたよ(笑)。そうして水崎さんと出会ってモノを作るチャンスができた感じです。

先輩後輩というか、社長と社員の関係だったんですね? 最初は。

水崎
僕は、あまりそういう意識はなくて、並列な関係でいたいと思ってました。サークルでの先輩後輩くらいの差はあったかもしれませんが。
森田
当仕事というよりは、最初はずっと作品ばっかり作ってたんですよね。水崎さんが監督をして、3人で一緒に作品を作っていて。
水崎
そうだね。いわゆるサンプルというか「こんなのどうかなー?」っていう実験作をよく作ってた。
森田
当時は、CGを使ってアニメ的な完成形をつくる方法論がまだなかったんですよね。線をCGで出力して、それを必死に塗ってみたり。実際、塗り終わってみたら「なんじゃ、コレ」みたいな(笑)。
水崎
現在はプラグインのシェーダーなどが整備されていますが、当時はその道具の元となるような実験研究をしていたんです。結果、線と色だけのデータを重ねれば、塗らなくて平気だなって。なんで気がつかなかったんだろうと思いますけど(笑)。
森田
でも、そういう失敗があったからこそ、「工夫」したんでしょうね。僕はまだCGもそんなに知らなかったので、まずソフトを買って、家でも会社でも、とにかく作ってた記憶があります。
水崎
当初はミスばっかりです。でも、楽しかったよね。今ある道具で「世の中に出てないような画」を作るにはどうすればいいのか、ウラ技を駆使しながら考えてた。雑誌に書いてある手法をとっても、誰かがやった絵にしかなりませんから。
スタッフをゼロから集めることの重要性

前作「FREEDOM」でも、そうした独自の工夫や新しい手法はあったのでしょうか?

森田
「FREEDOM」のときは、最初に大友さんから「こういう画にしたいんだよね」というオーダーがあって、2人でいろいろ画を見せ合ってやりとりしたんです。例えば「宇宙服のシワをどうするか」とか。紙をクチャクチャに丸めてシワを作って伸ばして、それをスキャンしたりね。そういう工夫はありました。でも、一番大変だったのはスタッフかな。僕、サンライズのスタジオにオーダーしたとき「スタッフをゼロからでやって欲しい」と話をしたんです。
水崎
それは、つまり、サンライズの中の制作スタッフを「FREEDOM」スタッフに変えていくのではなくて、1回リセットして、自分が集めるということ?
森田
僕を含めて「集めるのに協力してください」ってことだったんですけどね。実際は、誰かいるのかなって思ってたんだけど、現場入ったらホントに僕1人だけで、コレはヤバいなと(笑)。結局「スチームボーイ」のスタッフさんが入ってくれたりしましたが、一度、ベースはゼロにしたいと思ってました。無謀かもしれませんけど……今考えたらエラそうですよね(笑)。
水崎
でも、僕はそういう考え方は好きだな。神風動画も、最初3人で集まった時から、雑誌読んで既存の技術を集めるようなことはしない。僕はそれを「ちょんまげ理論」と呼んでるんですが(笑)。

ちょんまげ理論??

水崎
ちょんまげって、けったいじゃないですか。なんであんなことしてるんだろうって(笑)。でも、きっと日本は鎖国をずっと続けて、外国にも大砲を打ち返して拒み続けた結果、着物とかちょんまげとか、よく分からない文化ができた。僕は、それが面白いと思うんです。他のものを当たり前に取り入れるよりは、なにか閉じてずっと作ってると「変態的なもの」が生まれるんじゃないかって。
森田
うん。結局、集まったスタッフが「技術を何のために使っているか」を知ってるスタッフであればいいんですけどね。もちろん技術は悪いものじゃない。でも、どんどんいろいろな技術が増えてくると、いつのまにか「この技術はなぜあるのか」ってことを忘れちゃって、技術だけで作ろうとするようになる。それって思考停止状態で作ってるのと同じなんですよね。頭を使わないと、たぶん本当のモノは作れない。それで、みんなでいろいろ試行錯誤して考えるために「何もない状態」から作ろうと。
「FREEDOM」の1話は現場のギリギリ感が漂っている

それにしても「FREEDOM」の監督を27歳で受けて、ゼロから作るってスゴいですよね。

森田
関わってるスタッフには19歳の人もいましたけど、40代〜50代の方もいる現場なんですよね。そういうところに僕みたいな人間が監督だと、やっぱり最初は拒否から始まっちゃう部分もあります。ただ「監督だからエラそうにしよう」という気持ちは全くなく、ヘタクソでもいいから自分のイメージを見せて「こんなことやりたいんです」って、自分からどんどん行こうと。最初はたぶん、信用なかったでしょう。だけど、話数を進めるごとに、すごく信用してもらって……終わってみれば「良かったね」って言ってもらったのは、すごく大きかった。

「FREEDOM」の制作において、ここがキツかったというような苦労点はありましたか?

森田
結果的にいうと、全部キツかったですよ。人が1人、2人倒れてたっていう時期もありましたし。まあ、1話が一番危なかったですね。ただ、実は一番自分が好きなのが1話なんです。ふつう、アニメって1話が一番お金かけててすごく出来が良くて、だんだんクォリティが下がっていくケースが多いんですが、「FREEDOM」は逆に1話から7話までどんどんクォリティが上がる作品でした。まるでマンガ家さんの絵が回を重ねるごとに上手くなるような感じで。
水崎
そういうのは楽しいよね。例えば鳥山明先生も「Dr.スランプ」の18巻目では絵がすごく良くなっているんだけど「ドラゴンボール」を新しく始めると、最初4巻くらいはキャラが安定してないんですよね。鳥山先生ですらプロになってからも上達するんだ!って。
森田
「FREEDOM」の1話は勢いがあるというか、たぶん、みんな地獄で作っていたんだなっていうギリギリ感が漂っているんだと思います(笑)。それが回を重ねると、現場もシステム的に回るようになって、7話のときは僕が病気でいなくなっても大丈夫なくらい。
水崎
うん、息をするのと同じ感覚で作れるようになった話数と、血のにじむ思いで作った話数、それぞれ印象が違うんだよね。洗練されてる印象と、なんか必死な感じと、それぞれの良さがありますよね。
森田
そういう感じが観ている方にも伝わったら嬉しいと思いますね。

次回、魂のインタビューリレー「ぼくらの夢のかなえかた」:YAMATO WORKS・森田修平監督 (第2回)「森田修平の『思考し続ける』作品づくり」へと続きます~