10 7月
ゲームプロデューサーという仕事を知らない人が多い。まずはそこから教えて下さい。
たぶん、ゲームプロデューサーという仕事の中身は人によってまったく違うと思うんだけど、僕の場合は、理想のゲームを作り上げるためにいろんな才能をつなぎ合わせる橋渡しのような役割です。市場を見て、今はどんなゲームがいちばん喜ばれるかを見極めて、企画を立ち上げる。もちろん、「インスピレーション」で企画を考えることもあります。そうやって「こんなものを作りたい」という理想が見えてきたら、今度はそうした「理想のゲームを作ることのできるスタッフを集める」というのが二つ目の仕事。ゲームを作るための土台が出来上がったら、次は試作品の製作です。なにしろ、企画がおもしろそうというだけで、莫大な予算が取れるわけではない。まず、限られた予算と限られた期間で、おもしろさのエッセンスがわかる試作品を作って、それを会社に提案するわけです。その試作品が評価されてようやく、本格的なプロダクションの始まり。開発費用はもちろん、発売後のプロモーションまで、すべての予算を組み上げて、プロジェクトとして承認されれば、ゲームの実制作に入ります。
ちなみに1日の仕事量としてはどれぐらいになりますか。
とにかく、やらなきゃならないことはいっぱいあるんで、なかなか割り出せるものではないけど、打ち合わせと携帯電話とメールは、もう1日中。メールは1日300通ぐらいやりとりするかな(笑)?
制作タイトルの数(プロデューサー制作5本)や、その実売数(600万本以上)を見ると、「仕事量として信じられません」が。
結局、いつも複数のタイトルを掛け持ちして動かしてますからね。僕の持論として、プロデューサーは仕事を切らしちゃいけないと思ってる。作品と作品の間で休んでたりしたら、次のステップに出遅れちゃうから。
次から次へとタイトルがあって、いつ新しいゲームの「アイデア」を考えているんですか?
いや、もう日々の業務の間ですね。僕自身は直感タイプだと思うんですよ。インスピレーションを感じたら、頭の片隅にそれを引っ掛けておいて、少しずつそれを膨らませていく。そして膨らませていったものがカタチになりそうだったら、「コンセプトシート」をすぐ創るようにしてるんです。
経歴を伺っていると、実際には入社2年目で「ドラゴンクエストⅧ」のプロデューサーを任されているんですね。かなり責任重大じゃないですか。(※「ドラゴンクエストⅧ 空と海と大地と呪われし姫君」 世界累計出荷本数487万本。株式会社レベルファイブが開発を担当し、3D技術を駆使した新しいドラクエの表現に成功。海外でも各種受賞歴を誇る)
そうですよね。というか、僕自身も始めにその話をもらったとき、「この会社(当時は株式会社エニックス)はおかしいんじゃないか」って思いましたもん(笑)。なぜ、たかだか入社2年目の僕をこんな大きな作品のプロデューサーに据えたのか、僕自身にもわからないけど、ただ、もうその時に「人生における仕事の進め方」っていうか、自分の「ロードマップ」的なものは見えてたんですよ。むしろ、それを見るようにしていた。
2年目でですか。
いや、もちろん、具体的に「こういうゲームを創ろう」というのが見えていたわけではないですよ。ただ、このときに「何を思っていたか」というと、「30歳になった時には、フルマックスのパワーで働けるようになっていよう」と。限界ギリギリ、120%の努力で突っ走っているっていうのは、なんとなくイメージできてた。30歳、31歳、体力的にも無理がきいて、頭の回転も絶好調という時期に、フルマックスで働こう。そして、そこまででやった経験や実績を持って、そのあとの仕事の糧にしていこうって。そして、そこを越えたら、仕事のやり方を変えよう、って思ってました。だから、「ドラクエⅧ」という大作に対してプレッシャーに負けずに仕事ができたし、正直、ここまで無理もできたんですよね。
「この壁を越えたから、だから、今の自分があるんだ」っていう熱い話を聞かせてください。
ひとつめの壁は、「剣神ドラゴンクエスト」を作ったときでしたね。(※「剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣」~剣の形をしたデバイスと専用ハードを使用。剣をテレビ画面のモンスターへ振りかざし戦うことのできる、体感型冒険RPG)
「ドラクエⅧ」、つまり“ドラクエ本編”に携わるのは、本当に大変なことだったけど、「せっかく自分にやらせてもらえるんだったら、きちんとやろう!」と思ったんです。それで、特に「ドラクエ」は自分の少年時代から「発売日が遅れるものだ」っていうイメージがあったんで、「Ⅷ」は予定どおりに発売できるようにしようと決めた。そして実際、予定通りに発売できたんですよ。
予定通りっていうのはすごいですね!ドラクエ史上初の快挙?!(笑)
でもね、そうやって頑張ってたときも、会社からは「Ⅷ(ドラクエ本編)だけやっていても評価されない。新しいこともやらなきゃダメだ!」って言われてたんです。
確かに、“ドラクエ本編”というのは、自分が生み出すものではなくて、最初から堀井雄二さん、鳥山明さん、すぎやまこういちさんという才能があって成り立っているもので、ヒットするのは約束されていたようなものだった。やっぱり、新しく生み出したものをヒットさせなければ、プロデューサーとしては評価されないんです。ただ幸いにして、僕は「ドラクエ」に関わることができた。そして自分には小さいころから、実際に剣を使って魔物と戦えたらいいなっていう夢があったから、「ドラクエ」というコンテンツを使って、それが実現できるんじゃないかと思った。そういう新しいことにチャレンジすることは、「ドラクエ」の可能性を広げることにもなるし、自分のためにもなるって考えたんですよね。
ただ夢見るだけではなく、それを実現させられた秘密は何だと思いますか。
「解りやすいところまで(夢を)現実に落としこめた」ってことじゃないですかね。
僕が描いていた夢を現実にするんだったら、一番の理想は「3Dフォログラムで実際にモンスターが目の前に出てきて、本物の剣で倒す!」っていうところなんだろうけど、それを今の技術で創ろうと思っても、とても無理。じゃあ、今、どこまでならできるか、って考えて、現実に落としこんでいくわけです。「やっぱりゲームセンター用かな?でも自宅のテレビで、人目を気にしないで主人公になりきれるほうがいいよな」とか考えて。
そうしたらたまたま、ボクシンググローブをテレビ画面の前で動かして戦うっていう、おもしろいおもちゃを発見したんです。どこの会社が作ったんだ!?と調べてみたら、会社は滋賀にあるという。もう翌日にはそこに電話してアポを取って、企画書を作ってすぐに行きました。すると、ちょうど今まさに研究中の技術が、僕の企画に応用できそうだっていう話になって、なんと1週間でサンプルを作ることができた! このときは本当に「ミラクル」でしたね。
でも、そこからが大変でしたよ。当時の宣伝や営業の人たちには、企画に対する反応が今ひとつで。「今の子供がチャンバラごっこみたいなことをするのかなぁ」と。やっぱり得体の知れないものでしたからね。当時は「体感ゲーム」というものも、それほど売れてはいなかったんで、そうしたマイナスの印象もあったかもしれない。
そうした、芳しくない反応をひっくり返せたのは、何が要因だったんでしょう。
やっぱり、なんとしてもこの企画を実現させたいんだっていう「情熱」かな。お客さんは勇者に「なりきって」やってくれるんだ!っていうところを何度も何度も説明して、試作品も繰り返し改良していった。そして受注の段階になったときも、「なんとかおもちゃ屋さんにやってもらってください」って営業の方々にお願いして、試作品を持っていってもらったんです。そうしたら、実際におもちゃ屋さんを回ってくれた営業の人から「ものすごい反響が返ってきた!」と聞いて。
これは売れるぞと(笑)。
すごかったらしいですよ(笑)。大手の問屋の倉庫で実際にプレイして見せてたら、全然関係のない部署の人たちまで集まってきて、人だかりが出来たって(笑)。やっぱり、ドラクエでそうしたゲームができるっていうことは、すごくインパクトがあったみたい。もちろん、いっしょに開発した会社が持っていた技術力の恩恵は大きいですよ。でも、要は「技術は使い方」なんですよね。うまく技術を工夫して、アイデアを投入して、「ドラクエの世界で冒険している感、戦っている感」を「家庭で」出すことができたんです。
「工夫」して、「情熱」を「形まで持っていった」と。
形にするまでも相当キツかったですけどね。当時のスクウェア・エニックスでは、そんなプロジェクトをやった人がいなかったから(笑)。生産管理も、実際に中国の工場を視察して、出荷の状態まで見て、と、ふつうならやらないようなところまで自分自身で見るようにした。もちろんその後は全国で体験会を開催するというプロモーションまで敷いて。でも生産ラインからプロモーションまで、モノを作って売る流れを自分自身で体験できたから、その「経験値」は大きかったですよ(笑)。これがあったからこそ、「モンスターバトルロード」もできたんで。(※「ドラゴンクエストモンスターバトルロード」~シリーズ初の業務用カードゲーム機。ドラクエをキッズカードゲーム市場に投入)
しかし、「バトルロード」も最初は順風満帆ではなかったとか?
そう、大変だったんですよ。ショッピングセンターに設置する筐体。あれが高いんです。それだけのものをいきなり何千台も作って、それが全部、会社のリスクになる。「これはあまりにも初期投資がでかい。こんなものウチでやったことないのに、回収できる目処があるのか」って(笑)。でも、ここでも「ミラクル」があったんですよ。
最初にこれを企画したときは、アーケードで実績のあったセガさんやバンダイさんとコラボレーションしようかと思ってたんです。そうしたら、同じアーケードの分野で古くから実績のあったタイトーがスクウェア・エニックスの子会社になった。じゃあ、タイトーと一緒にやろう、ということになって(笑)。
次回、魂のインタビューリレー「ぼくらの夢のかなえかた」:株式会社 スクウェア・エニックス 市村龍太郎 さん (最終回)「市村龍太郎の夢のかなえかた」へと続きます~
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